日本には素晴らしい建築があるというのに、日本の建築学科ではこの素晴らしさを勉強する時間がほとんどなく、西洋建築を中心に勉強しているそうです。こんな身近に先人が残してくれた良例があるというのに日本の建築家というのは西洋建築の方に魅力を感じるんですね。私は、その数少ない日本建築マニアなので、私が知る限りの日本建築の知識を皆様にお伝えできればと思っています。とはいえ、専門的になりすぎても一般の方からしては読みづらい本となるでしょうから、抽象的な表現とします。そうそう、日本建築といっても神社仏閣の建築しかわかりませんので、社寺建築を中心にお伝えすることします。では、社寺建築の世界へいざなわせて頂きます。
コラム1:講演活動
8年ほど前から、神社仏閣や宮大工をテーマにした講演活動をしています。この本に書いている内容や宮大工の養成に関する事などを周知させていただく事により、多くの方々に神社仏閣やものづくりの魅力を感じてもらいたいと思い始めました。全国出張させて頂いております。講演会の収益は若手宮大工の養成事業に使わせて頂いております。もしも機会が御座いましたら、宜しくお願い申し上げます。
目次
建築の話をする前に、日本人の宗教観についてお話しする必要があります。日本という国は、多種多様な宗教が混在する特殊な国になります。初詣に神社に行きクリスマスを祝い、大晦日には除夜の鐘を撞く。神道?キリスト教?仏教?唯一神教のイスラム教やキリスト教からすれば意味が不明です。日本人というのは、無宗教なんだ。そんな事をいう人もいます。しかし、日本人の歴史的な側面から見れば至って普通の事なんです。それを可能にするのが、土着信仰である神道の考え方の一つで「八百万の神々の信仰」があります。
昔、イスラム教徒の塾生が聖徳太子に祝詞を奏上する事を一緒にしていた所、
両親から激怒されたエピソードがありました。
日本には古来より、あらゆる物に神々が宿るという考え方があります。大自然の山・川・海・風・水・石とあらゆるものが信仰の対象となりました。その代表的な遺構といえば、三輪さんの愛称で知られる大神神社。大神神社(おおみわじんじゃ)は、三輪山(みわやま)をご神体として、山そのものが依代(よろしろ)であるため神様をお祀りする本殿(ほんでん)はなく、拝殿(はいでん)を設ける事によりご神体に向かって参拝できるように計画されています。このように、神道には大自然のありとあらゆるものを「八百万の神々の信仰」という概念によって様々な神を尊ぶことができるからこそ、多種多様な宗教観をもつことを可能にしたと言えます。飛鳥時代になると聖徳太子が朝鮮半島または大陸より伝来した仏教、戦国時代に伝来したキリスト教を拒絶するのではなく、「八百万の神々」の概念の元、それらを受け入れて独自の文化と融合しながら発展を遂げてきました。このように八百万の神々の概念では、多種多様な神々が存在し、上下の優劣をつけずに、和になって八百万の神々が共存するからこそ今日の日本の宗教観が存在していると思います。これにより日本人は無宗教ではないという事が歴史的な事実に基づいて説明をする事ができます。本当の無宗教というのは、現代人なのかもしれません。現代は、若者の神社仏閣離れが深刻な問題で、関心がなくなっています。関心がなくなるという事は、無宗教に近づくという事になります。しかし、我々日本人の中には、数千年という長い時を経て信仰してきたDNAが刻まれているはずです。これを通じて、そのDNAを呼ぶおこす事ができたのならば、私は嬉しく思います。ちなみに、建築というのは宗教史と連動します。宗教史の中で影響を受けたものは、建築にも表面化します。
コラム1 三輪鳥居
大神神社は大きな三輪山をご神体とするため拝殿のみが存在います。しかし、拝殿の奥には、三輪鳥居という大神神社固有の鳥居が存在します。
コラム2 巨大鳥居の話
大神神社といえば、超巨大な鳥居が正面にあります。何故こんな大きな鳥居なのか?詳しくは不明ですが、とある人の話によると大きな三輪山の反対側に少し小さめの山があれば地理的に最高の場所となるのですが、奈良は盆地ゆえにそのような山はなかったそうです。その小さめの山の代わりに巨大鳥居を設置したとされています。信じるか信じないかは貴方次第^^
コラム3 鳥居って何?
鳥居の由来は、鳥が止まる木とされていて、これは日本神話の天の岩戸開きで岩戸に隠れた天照大御神を呼び出すために組まれた木材の上に鳥が止まっている所を示し、ここより先は、神域という区別するものとして現在でも神社の入り口に配置されています。「鳥が居るから鳥居」とか「通り入るから鳥居」など諸説ありますが、要は鳥居から内側は神域ということなります。