宮大工とは、神社仏閣の建造物に特化した宮大工のことをいいます。近年少子高齢化や若者の神社仏閣離れにより宮大工と言う言葉を聞いてもなじみのない方が多いです。
宮大工になるためには、宮大工の棟梁の下に行き、宮大工になりたいことを志願し、住み込みでの修行するタイプが多かったですが、昨今の核家族化、棟梁の家庭におけるプライバシーの問題で受け入れする企業が少なくなりました。住み込みでの修行は、宮大工になるために必要な生活習慣、人間関係、技術をみっちりと学ぶできる環境だったので、受け入れ企業が少なくなった事は業界にとって大きな問題でもあります。
徒弟制度の受け入れ先が少なくなったことで、伝統建築を主体とする専門学校が学び舎として確立されてきました。専門学校では、座学と実習を兼ね備え、学生からすれば今までの学生時代の生活習慣のは学ぶことができるスタイルです。しかし、ここには大きな落とし穴があり、卒業しても新卒1年目として扱われることになります。なぜ、新卒1年目として扱われるかと言うと、生活習慣、人間関係が全く宮大工の仕事をする上で適合されていないことと、技術においては習得時間があまりにも少ないことがいえます。専門学校に行っていたのだから、刃物研ぎぐらいはできるだろう。と言うのは大きな間違いで、同じ年数をした徒弟制度での弟子と比べると雲泥の差があります。
専門学校に行った生徒でよくあることが、自分は専門学校に行ったのだからある程度の仕事ができると言う自負があると言うものです。結論から言いますと、専門学校で覚えた事は一切通用しません。むしろその知識や経験が邪魔をし、成長を阻害します。そしてそれを周囲から指摘されても、プライドが勝ってしまい、助言をなかなか受けることができずに居場所がなくなり辞めていってしまうのが業界でのあるあるです。
特にプライドが強い子は、先輩から『じゃあこれをやってみろ』と言うことで、おそらくできないであろう仕事を任されて、大体は失敗し、それらを指摘されます。『お前は専門学校出たのだからできるのであろう。さっきまでのプライドはどうした』などと、実力の差を目の当たりにすると悲しいものです。専門学校と言うのは、宮大工のことを専門的にする学校ではなくて単なる学校の分野における建築よりの専門と言うことなのでこの意味をはき違えてはいけないと言うことを覚えておいてください。
業界では、宮大工になるためには専門学校に行くのはもったいないと考える人が多いです。それは、宮大工になるためにはもっと他の方法があるからです。1番は、宮大工棟梁の下に行き、弟子入りを志願することです。徒弟制度こそが1番宮大工になるために近道である事はみんなが知っています。しかし、実際に受け入れをする棟梁からしてみれば、なかなか奥様のプライバシー問題で受入をしたくてもできないと言うことがあり、宮大工になりたくても学ぶところがない『宮大工難民』が多くいます。なので、宮大工を目指す人は専門学校に行くしかないのです。
高い授業料を払って時間を投資したにもかかわらず、実際に社会に出たときに新卒1年目として扱われ、頭でっかちになってしまい宮大工の業界から去ってしまうと言うのは本末転倒。これを解決するために作られたのが宮大工養成塾になります。宮大工養成塾では、練習ではなく実践を通じて技術を習得し、職人になるための生活習慣や人間関係も学びます。形を変えた徒弟制度であり、宮大工を学ぶ環境も充実しています。要所に、専門学校のようなホワイトボードを使って学ぶ機会もあります。ただし、座学はかなり少ないです。日々の生活の中に学ぶことがあり、生活そのものが修行であり、3年間の修行を通じて宮大工に必要な心技体を学びます。専門的な学びとはこのことです。宮大工になるためには、宮大工の環境で修行しなければ、宮大工になれるわけがありません。そして、実践の機会が多いところでないと経験値が上がることもありません。宮大工養成塾は3年間の修行を通じて、卒業後は4年目。すなわち職人として認められる人材になるため日々活動しています。これでこそ初めて専門的に学んだ甲斐があると思うわけです。